学会コラム
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第12号:東京医科大学 医療の質・安全管理学分野 浦松 雅史(2023年5月23日) NEW
三木保先生を偲んで
東京医科大学 医療の質・安全管理学分野
日本臨床医学リスクマネジメント学会 常務理事 浦松 雅史
本学会常務理事であり、東京医科大学名誉教授の三木保先生が3月29日に亡くなられました。先生の訃報を聞き、先生より賜った教えの数々を思い出しています。
三木先生は、長く脳神経外科医として多くの患者さんを救ってこられましたが、2013年に東京医科大学医療の質・安全管理学分野へ主任教授として赴任されました。東京医科大学がCVライン事故をはじめとする多くの医療事故を経験し、そこから再生しようとしていた時期であり、三木先生に本学の医療安全の確立が託されたました。三木先生は、この期待に応えられ、本学の医療安全を飛躍的に向上させ、安定したものへと作り上げました。三木先生が、この過程において重視したことは、「顔が見える」、そして「明るい」医療安全でした。
臨床医としてのご経験から、「インシデントを出す側は、『自分たちが出した報告を、誰が、どのように処理しているか』を分からないと不安である」と認識し、院内ラウンドや医療安全研修会において積極的に「顔を見せる」ように心がけておられました。現場でのスタッフとの会話を特に大切にし、職員たちは先生の人懐っこい笑顔とざっくばらんな語り口に、ついポロっと現場の悩み、苦労など本音を漏らすことが多かったです。先生はそうして聞いた「本音」に、本気で共感し、悲しみ、怒る、情に厚い人でした。そうした姿に、「医療安全の決まりごとは面倒だけど、三木先生が言っているし、まあやってみるか」と思う職員も多かったと思います。また、「明るい医療安全」を実現するために、医療安全管理室は、「昼飯のついでにふらっと立ち寄ってもらえるようでなけりゃだめだ」と、来室された職員へ率先して、丁寧かつフレンドリーに接しておられたのが印象的でした。こうした姿に、なんとなく医療安全に関心をもつ職員が増え、いつの間にか、先生の好きな「当たり前のことを、馬鹿にしないで、ちゃんとやる(A、B、C)」というフレーズが院内に浸透していきました。先生の存在は、そのまま本学の医療安全文化の象徴であったといえます。
部下としては、三木先生から、「客観的に物事を見る」ということの重要性を教えていただきました。先生は情に厚い人でありながら、決して情に流されることなく、必ず一歩引いた眼で物事を確認して事に当たっておられました。三木先生の、「ちょっと待て。一旦相手の言い分も聞いてみよう」と、常に客観的、公平であろうとする姿勢は、日々の業務において、どうしても先に読んだインシデント報告や立場の弱い者の意見などに引きずられがちになる私にとって、「自分の得ている情報は正しいか。正しく解釈しているか」と振り返るための指針となっています。
四十九日も過ぎましたが、先生との別れがあまりに突然であったので、まだ、先生が亡くなったことを現実のことと思えていません。今でも、先生行きつけの田原町「野八」へ呼び出しがかかるのではないかとか、先週末は、先生が何より好きな三社祭で大活躍だっただろうなとか、そろそろみんなのために納涼会に向けて屋形船の手配をしているのではないかなどと考えると、とても亡くなったとは思えません。でももう、あの三木節は聞けません。先生の愛した東京医大も喪失感に包まれています。しかし、先生のことですから、「俺のことなんかいいから、お前たちしっかり仕事をしてくれよ」とハッパをかけるでしょう。職員一同、東京医大の医療安全をさらに高めるために、今後も努力を続けますので見守っていてください。
皆様もよくご存じの通り、三木先生は宴会が大好きで人でした。ぜひ皆様も、飲み会などで先生の思い出話しなどをしてあげてください。何より喜ぶと思います。これまでのご指導に感謝申し上げるとともに、三木先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
第11号:昭和大学江東豊洲病院クオリティマネジメント課 浅川 悦久(2022年3月16日)
医療安全管理室に携わる事務職の仕事
昭和大学江東豊洲病院 クオリティマネジメント課
(日本臨床医学リスクマネジメント学会常務理事)浅川 悦久
私の仕事は医療安全管理室の事務職です。この仕事に携わって10年以上が経過しましたが、この10数年間の仕事を振り返り思うことを書きたいと思います。
私が医療安全管理室に配属された当初、「病院内のトラブルや困った事案について医療安全管理室に相談が来ないのは、医療安全管理室の事務が怠慢だからだ。病院内の情報が常に耳に入るようにしろ」と昔、ある上司に指導されたことがあります。常に現場へ行きスタッフとコミュニケーションを取り相談しやすい環境を整えることで、情報が入り易くなるものだと教育を受けました。つまり机で仕事をするのではなく、現場に行き情報収集しろとの教えだったと思います。
私たち医療安全管理室は現場で起きている困惑情報をリアルタイムでキャッチし判断したいのです。しかし、私たちは常に困った事案が起きている現場には当然いません。そこで情報を提供してくれるのが現場のスタッフ達です。病院とは不思議な場所で、毎日色々な出来事が起きています。24時間365日、病院内で困った事案が発生した際には常に報告・連絡・相談(電話)をしてもらえるよう環境作りに力を入れました。
電話が夜中に来ても嫌な声を出さず、情報を提供してくれたスタッフに「ありがとう」と感謝し情報収集をしています。その場で対処できる内容であれば即答し解決に導くことができますが、判断に困る事案については病院長へ電話を入れ判断を仰ぎます。病院内の情報が医療安全の事務に集まり、情報を整理して判断し、判断に困る事案は上層部へあげ判断を仰ぐ。そんな組織の歯車になることが医療安全管理室の事務職に求められているのではないでしょうか。
困惑情報はスタッフのレベルによってとらえ方は様々です。医療安全に関心がなくても現場で患者と接していれば、困った事象は必ず起きます。困ったら医療安全管理室に連絡すれば何とかしてくれると思ってもらえれば、儲けものです。病院内で働く全てのスタッフにそんなふうに思ってもらえる組織を築いていきたいと考えています。
病院内には医師、看護師、薬剤師、検査技師、放射線技師、栄養士、臨床工学技士など様々な職種のプロが働いています。そのプロ同士の間を調整しチームワークを発揮させるための循環油になるのも事務職としての大切な仕事の一つです。
第10号:慶應義塾大学医学部法医学教室 藤田 眞幸(2021年10月5日)
医療安全教育の浸透と医療安全実現における課題(後半)
慶應義塾大学医学部法医学教室
(日本臨床医学リスクマネジメント学会常務理事 『安全医学』編集長) 藤田 眞幸
(前号から続く)
医療安全教育の終局的な目標は、現実に、安全な方法が実行されることにあります。しかしながら、一般に、安全でない方法にも、簡単で、早くでき、楽で安いという、それなりの「都合のよさ」があります。そのために、長い間そういった「恩恵」を受けてきた人達が多くを占めている場では、それをなかなか改善することができません。そのようなところに、新たに安全意識の高い人材が入って、慎重に業務を進めようとしても、「時間のかかる困った人」として扱われ、これまで通りの「安全でない素早い方法」で済ますように転じなければ排除されてしまうことがあります。このような状況は、悪玉腸内細菌叢が小数の善玉菌では改善されないのによく似ていますので、私は悪玉腸内細菌叢モデルと呼んでいます(藤田 2016)。もちろん、この逆もあるわけで、安定した「善玉腸内細菌叢」からなる(安全意識の高い)集団では、少数の問題のあるスタッフが入ったとしても、やがては安全な方法を身に付けないとやっていけなくなり、よいスタッフに転じていくことがあります。
なお、安全でない方法で、どうにか凌いで稼働していているような状況では、システム全体の改善が求められます。新しい安全なシステムを考える場合に大切なことは、別のプロセスへの影響も考える必要があるということです。ある場所で交通違反が多かったときに、取り締まりを強化すると、たしかに、そこでの事故は減るかもしれません。しかし、取り締まりをしすぎたために、別のところで、渋滞が発生して、そこで、事故が多発してしまうような場合があります。医療安全においても、あるステップの改善を行うときには、そこだけでなく、それによって 新たに生じてくる他の部分での負担も考える必要があります。
最後に、医療安全の実現のために、何よりも大切なこととして、職員同士お互い仲がよいということがあげられます。仲がよければ、医療安全研修の後も、そういう話で、お互い盛り上がり、教育効果が上がるかもしれません。また、業務の中でも、互いに確認し合うことを喜べるので、それを 忘れてしまうこともないでしょう。そして、間違いを指摘されても、ありがたく思えるので、チェックがスムーズに行えるのではないかと思います。
職員研修でゲームのようなことをさせられると、「この忙しいのに」と怒る人もいるでしょうが、そのような場でも、苦笑いをしながら仲良くやって行けるような関係が、医療安全の実現に最も大切であるような気がいたします。
第9号:慶應義塾大学医学部法医学教室 藤田 眞幸(2021年10月5日)
医療安全教育の浸透と医療安全実現における課題(前半)
慶應義塾大学医学部法医学教室
(日本臨床医学リスクマネジメント学会常務理事 『安全医学』編集長) 藤田 眞幸
医療安全に対する国家的な、積極的・重点的な取り組みが始まって、はや20年余りが経過しました。この間、数回にわたって医療法の改正が行われ、今では、どの病院でも、充実した医療安全管理体制がしかれるようになりました。
私は、臨床医にはとかく敬遠されがちな法医学を専門としていますが、これまで、病院に勤務した経験、医療安全研修での講師としての経験、医療安全管理者養成講習会や医療安全研修の受講経験、医療安全管理委員会アドバイザーとしての経験、医療事故やその他の事故の法医解剖による死因究明、原因究明の経験などから、現在の医療安全教育で何が大切か、そして教育を浸透させて医療安全を実現する上での課題について、思うところを述べてみたいと思います。
医療安全教育で最も問題となるのは、医療安全に関心の薄いスタッフの存在です。医療はチームで行いますので、その中に安全意識の低い人が少しでもいれば、大きな事故が発生するリスクが生じます。もちろん、医療安全にはまったく関心がないというようなスタッフはいませんが、最も安全な体制を確立するためには、全員にかなり強い関心を持ってもらう必要があります。そのためにはどのようなことが大切なのか、原点に立ち返って考えてみたいと思います。
新聞などで医療事故の記事をみてみますと、よく、「初歩的なミス」という言葉が出て来ます。薬の間違えやその投与法や投与量の間違えは、「初歩的なミス」だと思われがちですが、実は、多くの患者さんを担当していながら一度も間違えないようにするには、「初歩的な技術」では、対応することができません。そしてさらに、緊急時にも正しく対応でき、そのような環境を作って仲間と共有できるようになるには、「かなり専門的で高度なスキル」が必要です。難しい診断や治療には強い関心を示しても、安全な業務の遂行には、そこまでもの強い関心は示さない医療スタッフが多い傾向にありますが、その背景には、それが大きな精力をつぎ込む値打ちがあるような「かなり専門的で高度なスキルである」という認識が、まだ完全には定着していないという問題があります。
こういった状況を改善するには、卒前教育だけでなく、中学校や高校などでの早期からの教育が重要になってきます。それによって、将来の医療人に「先天的」な行動パターンを埋め込むだけでなく、国民全体に、「安全は最重要課題であり、それを確保するには労力も費用もかかる」という認識を広め、それを社会の常識として浸透させていくことができるのではないかと思います。そうすれば、患者さんも、医療スタッフが、この高度なスキルを発揮できるように、進んで協力しれくれるようになるのではないかと思います。
日常業務に追われる中で、どうしても医療安全教育への関心が薄くなりがちな、もう一つの理由としては、大きな事故は滅多におきないために、言葉ではわかっていても、事故が起こったときの大きな損失が十分にイメージできていないという面があります。われわれ法医学者の場合には、医療事故も含めて、多くの事故の結末を眼の当たりにしてきていますので、必要以上に過剰なイメージを抱いてしまうという面もありますが、病院の医療安全教育の場では、事故がもたらす重大な結果のイメージを十分にいだくことができるようにする工夫が求められます。
(次号に続く)
第8号:富山大学附属病院医療安全管理部/富山大学学術研究部医学系医療安全学 長島久(2021年8月25日)
18回学術集会裏話
富山大学附属病院 医療安全管理部/富山大学 学術研究部医学系医療安全学
(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事)長島久
2019年11月に中国武漢で確認されたSARSコロナウイルス2(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は,世界保健機関(WHO)がパンデミックを宣言してから1年以上が経過し,ワクチン接種が進んだ一部の国では制限を解除するなども試みも始められていますが,変異型ウイルスの発生などもあって収束の目処が立っていないのが実情です。
思い起こせば,当初は東京オリンピック・パラリンピックが2020年の7月から開催予定であったことから,第18回の学術集会はこれらの影響を避けて,2020年の9月12日・13日に富山市にある富山大学五福キャンパスの黒田講堂で開催する予定で準備を進めておりました。2020年の2月には,横浜港に寄港中のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の船内で多数の感染者が発生しましたが,学術集会の主催者としては,オリンピックまでの半年程度で感染は収束するものと考えておりました。ところが,1日に数名から10名程度であった新規感染者数はその後急激に増加して,東京をはじめとする7都府県に対する新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が4月7日に発出されると,4月16日には全国に拡大されました。
このような社会的情勢の急激な変化の中で一度は延期も考えたのですが,医療安全担当者が感染制御も兼務されている病院もあり,想定外のコロナ禍,特に第1波ではマスクやガウンといった感染防御に必要不可欠な医療機器が極度に不足している環境下で,疫学も治療方法も未知のウイルス感染症に対応している医療現場の混乱を鑑みると,医療安全に関わる課題についての情報交換や議論を行う機会を先延ばしにするべきではないと考えました。そこで,オンラインでの学術大会の開催についての情報収集をしましたが,その時点でオンラインでの開催または開催する方針としていた学会はごく少数でした。また,その形式も,現地で開催する学術集会にオンラインでの参加も可能とする,いわゆる「ハイブリッド方式」が主体でありました。しかしながら,混乱する臨床医学の現場の第一線で医療安全を担当している皆様が学術集会に参加する場合の利便性を考えると,ハイブリッド方法では時間に制約が生じますので,参加者が各自の都合に合わせて自由に学術集会に参加できる完全オンデマンド方式が望ましいと考えました。
未曾有の感染症による社会の混乱は,学会を支える財政基盤も直撃いたしました。COVID-19診療に関わる様々な医療資源の枯渇とこれに伴う通常診療の抑制,ならびに病院を取り巻く人の流れの停滞とオンライン化に伴う対面での広報機会の減少は,共催セミナーや機器展示といった学会の開催に不可欠な財政基盤の確保にも影響を与えました。特に,本学会のように比較的小規模な学会では,企業からの協賛の上に学術集会の運営が成り立っている部分も大きいのですが,COVID-19対応への医療資源の注入と感染拡大の防御に向けた人流の制限などに伴って,学術集会の開催に向けた企画の提案や協賛のお願いをする上でも大きな影響を及ぼしました。
このような背景から,第18回の学術集会はオンデマンドで参加が可能な学術集会の仮想空間ウェブサイト)を廉価で構築する必要がありましたが,関連する皆様のお力添えをいただくことで,手作りのウェブサイトながらも,当初からの予定であった9月12日から1か月間の会期で学術集会を開催することができました。(*画像は、トップページと「第1日目」(実際に開催した場合の第1日目相当のプログラム)のインデックスページ)
末筆になりますが,本学術集会の開催に向けて,様々な分野の教育用に構築されたオープンソース(利用が開放されている)の学習管理システムである「moodle(ムードル)」をご紹介いただき,ウエブサイトの構築についてもご指導をいただいた,本学会評議員の奥津康祐先生(山梨OQT)の多大なるご尽力に,心から感謝いたします。このウェブサイトの構築については安全医学に投稿し,原著論文として17巻第1号に掲載いただいております。また,オンラインにも関わらず共催セミナーをご協賛いただいたテルモ株式会社様,企業展示等にご協賛いただいた株式会社ニシウラ様,エルゼビア・ジャパン株式会社様,ならびに抄録集広告にご協賛いただいた東和薬品様,サイド・インサイド株式会社様,富木医療器株式会社様に,心からの感謝を申し上げます。
開催が2021年に延期された東京オリンピックは日本選手団に多くのメダルをもたらして閉幕しましたが,我が国そして世界のCOVID-19の収束までには今しばらくの時間が必要と思われます。その後に展開される世界がどのようなものになるのかについては予測がつきませんが,本学会に関わる多くの方の未来が明るいことを心より祈念いたします。
第7号:昭和大学副理事長 上條由美(2021年8月16日)
安全安心
昭和大学副理事長
(日本臨床医学リスクマネジメント学会副理事長)
上條由美
安全安心という言葉は、一つの言葉として使用されていますが、意味は全く違います。「安全」とは、科学的根拠に基づいて客観的に使用されることが多いですが、「安心」とは、明確な基準がなく主観的な意味合いが多いです。安心感という言葉使用されますが、安全感という言葉はなく、安心という言葉には感覚的な部分が含まれていると思われます。
➀安全であり、安心だと思う
②安全であるが、不安を感じる
③危険ではあるが、安心と考える
④危険であり、不安を感じる
これを医療現場に当てはめてみると、縦軸の安全~危険は、手術や処置に、横軸の安心~不安は、患者の気持ちになります。100%安全な手術や処置はないことは前提ですが、比較的安全と思われる手術や検査に対しても、すべての患者さんは安心だと思ってくれるわけでなく、強い不安を訴える患者さんもいます。一方、リスクの高い手術や検査に対しても、すべての患者さんが強い不安を訴えるわけではありません。多少の不安は感じているかもしれませんが、大丈夫ですと落ち着いている患者もいます。この違いは、様々なメディアやインターネットなどの情報にも影響を受けますが、一番影響するのは、医師の説明や看護師のケアによる違いではないかと思います。どんなにハイリスクな手術でも、十分な説明とケアにより、患者は納得して安心感を得ることができます。つまり、Informed consent (説明と同意) ということになります。臨床の現場では、ハイリスクな手術や処置が必要な時は多くあります。TOKYO2020大会が縦軸のどのくらいのリスクのところに位置していたかは、感染症の専門家でもわからないかもしれません。しかし、多くの国民(少なくとも私は)が不安を感じていたのは、十分な説明がなされなかったからではないかと感じています。政治も医療現場と同じで、実施(決断)する人がエビデンスに基づいて分かりやすい言葉で説明する必要があります。世界で初めて経験する感染症には、エビデンスは存在しないかもしれません。初めて行う手術や治験薬も、過去に経験がないのでエビデンスがありません。それでもできる限りの情報を開示して、実施する医師が責任をもって説明して患者の同意を得ることが必要です。今回のパンデミックの中の開催という状況もエビデンスは存在しないのかもしれませんが、十分な説明とケアは不足していたと感じています。
たくさんのメダルを獲得して、感動と元気を与えてくれたアスリートには感謝の気持ちしかありません。しかしこの感動で、「TOKYO2020大会を開催してよかった」で終わらせるのではなく、開催の在り方、感染症対策等はぜひフィードバックしてもらいたいと考えています。
*総務省 平成21年版情報通信白書 有識者コラム:内田勝也(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/column_uchida.html)
第6号:日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野 木下浩作(2021年8月11日)
研修医に対する形成的評価と医療安全
日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野
(日本臨床医学リスクマネジメント学会副理事長)
木下浩作
救急医療を長く担当していると、医療安全確保に関する考え方はいろいろな場面で要求されます。私が勤務している病院でも医療安全に関する仕事を病院長から指示され、院内心停止患者のデータ収集と対応について活動したのが、医療安全管理室・室員となるきっかけでした。その後も院内医療安全講習会などの講師も経験し、どのように若手医師と医療安全を関われるかを考えるようになりました。特に初期研修医が救急科ローテーションする時、何を希望しているのかを聞くと「手技をたくさん経験したい。」との回答を聞くことが多いと感じています。しかし、指導医の立場からすると「手技」を行う前に研修医の知識も確かめたくなります。実際にその手技を安全に行うために必要な知識を問うと、多くの1年目研修医は答えることができません(2年目になると結構答えます。)。質問攻めにすると研修医は消極的になるし、「知識のない研修医に手技はさせられない。勉強してこい。」と言うと、カルテ書きなどの仕事に専念してしましい「救急科研修」にはほど遠くなってしまう研修医もいます。もちろん研修医のモチベーションにもよります。
2020年医師臨床研修指導ガイドラインが見直され、経験すべき手技の一部は、研修修了にあたって習得すべき必須項目ではなくなりました。この手技の中には、中心静脈カテーテルの挿入などの侵襲的手技が含まれ、「見学し介助できること」が目標となりました。この背景には、形成的評価、総括的評価の際に習得度をしっかりと個別に評価するべきであるとの考え方があります。一見すると、医療安全確保のため、若手医師にとっては、さまざまなことが制限されているようにも感じますが、形成的評価を繰り返し行い「個別評価」の結果、一定レベルに到達している場合には、多くの経験ができることを意味しています。
形成的評価が効果的に機能するためには、指導医・指導者との間に適切な信頼関係(この場合は研修医との間での信頼関係)がなければならず、研修指定病院では組織的に取り組んでいる姿勢が問われます。それぞれの診療科の指導医からすると研修医との関係は短い期間に過ぎませんが、研修医からすると2年間もの期間がありますし、その後どの科を後期研修に選ぶかどうかは別として、私たちの後輩として同じ病院で働く者もいます。最近、やっとこのギャップを乗り越え、良き臨床医の育成のため長い目で見た先輩と後輩の信頼関係が構築され、繰り返しの形成的評価が行われながら、医療安全確保がなされているのだと考えられるようになりました。研修医が望む「手技」を例にとると、その行為に係わる基本的な知識と指導医からの形成的評価の積み重ねにより、少しずつ医療安全の考え方が若手に備わり広がるのだと実感しています。この過程は、結局、今も昔も変わりませんね。
第5号:帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター/帝京大学医学部救急医学講座 三宅 康史(2021年4月30日)
いろんな安全
帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター/帝京大学医学部救急医学講座
(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事長)
三宅 康史
すでにHPの『本会について』から、理事長ご挨拶 をご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、どう見ても2019年5月以前に書いた挨拶文がそのまま掲載されています。こんなコラム書くより先に早く書き直さないといけませんね。リスクマネジメントが甘くて申し訳ありませんm( _ _ )m。
第57回日本交通科学学会・学術講演会交通科学力学会
さらに、日本でかつて毎年3万人を超えていた自殺者を減らすために、日本臨床救急医学会『自殺企図者のケアに関する検討委員会』の委員長として、自殺企図で搬送された傷病者に対応する医療者を対象に、厚労省後援のもと自殺未遂者のケアを学ぶ研修会(1日)や救急現場における精神科的問題の初期対応コース(4時間)を開催しています。去年はコロナ禍のせいで集合しての開催は無理でしたが、今年はZOOMの会議機能などを利用しオンラインで少しずつ再開しています。苦しむ本人とその家族を助けるため医療スタッフの能力を高めていのちの安全を守る活動です。
さらに、突然発症し救命救急センターへ搬送された重症の意識障害患者の家族と、治療に当る医療スタッフの間を取り持って、入院初期から両者の信頼関係を構築する役割をになう中立的な入院重症患者対応メディエーターを配置するための研修会と認証を担当しています。こちらは患者家族の悔いのない判断をサポートし、医療者側の仕事満足度を高める医療安全そのものです。
もちろん皆さんは、毎年夏場に私が熱中症関連の季節労働者である事はご存じでしょう。高齢者を熱中症から守り、夏を安全に乗り切るため、7月にはNHK-Eテレ『きょうの健康』で“動いて喋る理事長”がご覧になれます。ご期待下さい。
第4号:埼玉医科大学総合医療センター医療安全管理学 中島勧(2021年4月14日)
画像診断における異常所見見落しはなくせるのか
埼玉医科大学総合医療センター医療安全管理学(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事) 中島勧
近年、大病院を中心として画像診断レポートの見落としが多数報道され、医師・患者双方に画像所見見落しに関する問題意識の共有がなされてきたことと思います。しかし医療安全の立場で医療現場を見ていると、問題意識が共有されたからと言って、画像診断の状況は決して改善していないと感じてしまいます。忘れてはならないのは、質の高い医療はその医療を提供する専門家がいて初めて可能になるということです。本コラムでは、画像診断の現状について考えてみたいと思います。
画像診断に関するマスコミ報道で最も多いのは、放射線診断専門医が画像診断レポートで指摘した異常所見を、依頼した医師(主治医等)が見落として、その後に必要とされる検査や治療が行われなかった場合です。報道内容を見る限りでは、画像診断の際には放射線診断専門医が読影レポートを作成しているのだから、それを読むのを怠るなんてけしからんというような内容になっています。確かにレポートが作成されている場合はその通りだと思います。しかし画像が撮影されたとしても、放射線診断専門医が読影しているとは限らないことは、世間では十分知られていないと感じます。
日刊工業新聞2018年8月8日の記事によれば、日本における年間画像診断件数約1億5000万件のうち、放射線診断専門医が診断しているのはその約30%に過ぎず、残りの約70%は非放射線医が診断しているとのことです。つまり何らかの疾患が疑われて画像が撮影された場合、そのうち70%では放射線診断専門医による読影がなされておらず、画像診断レポートは存在していない、つまり読影レポートを見落とすことはできないということです。放射線診断専門医は、幅広い種類の画像に対して、画像情報から異常所見を発見するトレーニングを受けており、自らの専門領域の読影以外のトレーニングを受けていない一般の医師には診断できない微妙な異常所見でも、見落とすことなく診断できる可能性が高いはずです。従って仮に放射線診断専門医が全ての画像を読影していれば、従来読影されていなかった70%の画像からも、想定外の異常所見が確認される可能性が十分にあることになります。
仮に全ての画像に対して、放射線診断専門医による読影が必要ということであれば、それに見合った人数の専門医が必要ということになります。しかし放射線診断専門医は現時点で5600名(日本放射線科専門医会HP)程度であり、日本の総医師数327,210人(平成30年医師・歯科医師・薬剤師統計)のうちの1.7%に過ぎません。仮にすべての画像診断を放射線診断専門医が実施する体制を確保しようとするなら、現在の労働環境を許容した場合であっても、単純計算で約13,000名の医師が新たに放射線診断専門医試験に合格しならなくてはなりません。しかし直近3年間の放射線診断専門医認定試験の合格者数は、162→177→192と増加傾向にあるものの、13,000名の不足を埋めることは将来にわたり不可能と思われます。
画像診断専門医を増やすのが困難であれば、画像診断の数を減らせばよいという考えもあります。しかし患者さんはMRIやCT、PET等、より高度な画像診断を求める傾向があり、それは今後さらに強まると思います。また画像機器の進歩により、診断に用いる画像数は増加傾向であり、さらに1枚の画像に含まれる情報も画像の高精細化により増加の一途をたどっています。つまり同じ画像診断件数であっても、診断にはさらに長時間が必要になるということです。以上からわかるように、この問題を人の力で解決するのは不可能に近いため、AI等の人によらない診断技術の確立が近年進められています。しかしその場合、診断結果の責任を誰が負うのかという問題が新たに生じます。医師どころか人でさえないAIが誤診した時に、誰が責任を取るのかという問題は、社会でコンセンサスを得るだけでもそう簡単ではないでしょう。
画像診断見落としの問題が取り沙汰される時は、未読レポートを減らし、読影により発見された重要所見が診療に反映される仕組みを作ることが最優先と考えられている場合が多いと思います。しかし現実には放射線診断専門医により読影さえされていない画像が多数あることを考慮すれば、読影レポートの見落しを減らすだけでなく、撮影された画像が確実に放射線診断専門医によって読影される体制を作ることにも力を入れなくてはなりません。放射線診断専門医を増加させるのか、画像を減少させるのか、またはAIなど人の手によらない読影の仕組みを作って社会が認めるのか、解決すべき点が多く先が見えない状態が今後も続きそうです。
第3号:東京大学医学部附属病院医療安全対策センター長 中島勧(2018年3月5日)
医療安全管理体制への医師の配置について
東京大学医学部附属病院医療安全対策センター長 中島 勧
(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事)
平成30年度診療報酬改定で、従来の医療安全対策加算に加えて、医療安全地域連携加算(1・2)が新設された。このうち加算1は、大雑把に言えば、特定機能病院以外の医療機関が医師を医療安全管理部門へ配置することで、従来85点だった医療安全対策加算に加えて50点(合計135点)を算定できるという仕組みであり、医療安全管理への医師の参画を推進するものである。そこで本コラムでは、当初は看護師の配置から始まった医療安全管理体制が、現在の姿になるまでの変遷について、簡単にまとめてみたい。
今では当たり前のように感じる医療安全管理体制であるが、法令で規定されたのは、平成14年8月に医療法施行規則の改正で「病院及び有床診療所における安全管理体制の確保」として委員会や職員研修、事故報告制度などが規定されたのが最初である。平成11年の横浜市立大学及び都立広尾病院での医療事故をきっかけに開始された検討の、一連の流れの中でのことであった。平成14年10月には同規則の改正で、特定機能病院に対して、医師、歯科医師、薬剤師又は看護師のうちのいずれかの資格で、医療安全に関する必要な知識を有する者が、医療安全管理部門に所属していることなどが規定されている。さらに、平成18年度診療報酬改定における「医療安全対策加算」の新設により、多くの医療機関が加算の算定を目指して体制の整備を図ったことで幅広い医療機関へ普及した。現在の安全管理体制は、平成19年4月1日施行の第5次医療法改正で、医療の安全の確保としてあらゆる医療機関へ「医療の安全の確保」が義務付けられたことで、整備されて現在に至っている。
平成18年度診療報酬改定で新設された医療安全対策加算とは、急性期入院医療において、医療安全対策に係る専門の教育を受けた看護師、薬剤師等を医療安全管理者として専従で配置している場合に、入院基本料に対して50点を加算するというものであった。しかしこの改定で医療安全対策加算を算定できたのは、看護師を専従で配置できる医療機関に限られており、中小規模の施設では普及には至らなかった。
平成20年度診療報酬改定では、より幅広い医療機関における医療安全管理体制の普及を目指して、医療安全管理者が専従ではなく専任であっても加算されるようになった。具体的には専従の医療安全管理者を配置した医療機関に対して、医療安全対策加算1として入院時に85点を加算へと増額され、専任者の配置では医療安全対策加算2として35点が加算できることとした。
その後医療安全体制は大きく変わらなかったが、平成26年に入って特定機能病院における医療事故の報告が相次いだことから、厚生労働大臣を本部長とする「大学附属病院等の医療安全確保に関するタスクフォース」が設置され、特定機能病院における医療安全管理体制の見直しが行われた。その結果として平成28年6月に医療法施行規則が改正され、特定機能病院として承認されるための要件に、「専従の医師、薬剤師及び看護師」の配置が規定され、これまでの「看護師、薬剤師等」の専従から、大幅に体制が強化されることとなった。
ただしこれまで長く続いてきた主に専従の看護師による体制から、専従の医師及び薬剤師を配置した体制に変えることは、人員確保という点で相当の時間を要する。そこで医師と薬剤師を対象として、平成30年3月までは勤務時間のうち50%以上を医療安全に充てる「専任者」1名で、平成32年3月までは同「専任者」2名で、専従者1名を配置したこととみなすという移行措置が設けられている。しかし医療安全管理は、新たな領域であることから学問として完成されているとは言えず、現場での相当の経験がないと習得が難しい。また医療安全に専従するために専門領域の医療から離れなくてはならないことから、主に医師の専従者の不足が全国的に顕著になっている。
平成28年度厚生労働科研「医療安全管理部門への医師の関与と医療安全体制向上に関する研究」(研究代表者 長尾能雅)において、医療安全管理部門へ医師が関与している組織では、医療事故調査における有効な再発予防策の立案や、アクシデントや重大事故発生時に病態の医学的評価や患者への影響・予後の判断が、有意に優れているという結果となった。これを踏まえて、平成30年度診療報酬改定では、従来の医療安全対策加算に加えて、「医療安全対策に3年以上の経験を有する専任の医師又は医療安全対策に係る適切な研修を修了した専任の医師」が医療安全管理部門に配置されていることを要件とする医療安全対策地域連携加算1(入院時に50点)が新設された。この加算は医療安全対策加算1の届出が要件とされていることから、特定機能病院以外の医療機関の医療安全管理部門に医師が配置されることで、医療安全の加算を135点算定できる可能性があることになる。
しかし現実には、全国に85か所(平成29年4月)ある特定機能病院への専従医の配置だけでも相当に難渋している。それに加えて医療安全対策加算1を算定する一般の医療機関へも医療安全管理部門へ医師を配置するためには、医療安全管理を正しく理解して実践できる医師の養成が急務となる(2016年7月時点の医療安全対策加算の届出医療機関数は、加算1が1842施設、加算2が1765施設)。
幸いなことに当学会では従来から医師の医療安全管理者の養成に力を入れており、医療安全管理専従医の養成に貢献できるはずである。これから医療安全管理に参画する医師には、今夏に開催予定の医療安全セミナーへぜひ参加していただきたい。
第2号:本会理事長 吉田謙一(2017年6月30日)
特別講演「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか?」を拝聴して(後半)
東京医科大学法医学分野教授(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事長) 吉田謙一
(前号からの続き)
専門家鑑定の問題については、大野病院事件の検察側証人達のような、「知ったかぶりをして、“大衆”という時代を動かす“権力”に迎合する似非専門家」について鋭い批判を展開された。第2次大戦に至る欧州の時代背景の中、スペインのオルテガ・イ・ガセットが、「医者,技術者,財政家,教師等の専門家は自分が携わっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく『識っている』が,それ以外の部分に関しては完全に無知なのに、自分が知らないあらゆる問題において無知者としてふるまうのではなく,専門分野において知者である人がもっているあの野蛮性を発揮する」という文章を引用して、厳しく批判した。私は、安福先生との対話の中で、日本の刑事司法の常とう手段は、「実際は信頼性が確かでない少数の専門家の意見を基に、検察官や警察官が『筋書き』をつくり、それに合わせて証拠を集める…被疑者には、密室で『筋書き』に合う供述を強要する」流れから冤罪が発生するのは必然の理であると感じてきた。不幸なことに、大野病院事件の事故調委員は、県が遺族に補償をすることを前提として、K医師の過失を認めることを求められていた。
安福先生は、裁判に求められる「糾明」は、被告人の罪・責任の有無を判断するための手続きであって、真実を明らかにし、真相を究明できる制度でない。そもそも、高度に専門化した医学の分野については、裁判所や検察・検察に理解を求めることは無理である」という。以下、この件に関する私の感想を記す。医療裁判において、裁判所は、医療従事者に、事故に関する予見と回避に関する注意義務を課し、これに違反したと判断すれば、医療従事者に刑事罰や賠償責任を負わせる。また、特定の医療行為と事故の間の“因果関係”の判断について、本件に対する福島地裁の2008年判決は、「少なくとも,相当数の根拠となる臨床症例あるいは対比すべき類似性のある臨床症例の提示が必要不可欠であると言える」として、検察が、主張の根拠となる症例を提示していないことを明確に指摘した。この判決は、裁判官のエビデンスベーストメディシンに対する深い理解と洞察が顕れた画期的な判決である。そして、この判決を導いたのが、大野弁護団の「真摯な医療専門家の意見に心から耳を傾ける」姿勢と情熱であった。
安福先生は、大野病院事件の事故調査報告書において、「・・・すべきであった」という表現を、検察官が過誤と受け取ってしまったことが問題であると指摘する。医療者にとって、「・・・すべき」は、「結果からすれば,」「振り返って考えると」本件では「すべきであった」なぁ、「今後は,それをどう活かすか,こういうことも想定して対応しなければならない」という意味を込めての表現である。ところが、法律家は、同じ表現を「通常の医療者であれば,当然しなければならない,法的義務と言えるほどの医療行為であるにもかかわらず,それをしなかった。」と過失概念に置き換えてしまうという(浜秀樹判事.判例タイムズ1355-47)。
安福先生は、医療事件が刑事司法の対象となる場合、医療者の逮捕・勾留を厭わない強制捜査権を発動することが、萎縮医療や産科医療崩壊の形で、社会や医療界に大きな犠牲を負わせてしまったこと、専門分野や学問分野にかかわる裁判について、法律家が、どのように事実を認定し、その専門分野・学問分野からの批判に耐える法的判断を適正に行えるかという問題があると指摘する。
最後に、安福先生は、猪突に、「なぜ、K師は無罪になったのか?」と聴衆に問いかけた。そして、事故直後のK医師の、「ミスをしたという認識はない。正しい医療行為を精一杯した。(しかしながら)患者さんの期待に応えられず、申し訳なく思います。」という言葉を紹介した上で、別の患者のメールを2通紹介された。1通は、安福先生のご著書の読者が、最近、子宮がん検診を受けた医師がK医師であることに気づいてネットで検索し、編集部に送ったメールであった。そこには、K医師が「とても丁寧で優しくこちらの質問にもわかりやすく応対して頂き大変好感を持ちました。…加藤先生のファンになりました。」と書かれていたという。
安福先生は、「弁護団もK医師のファンになった」ことを思い出した上で、「裁判所もK医師のファンになったのではないか?」と問いかけた。そして、「医師としての矜恃を保ち、常に真摯に患者家族と向き合い丁寧に説明し、誠実に診療・治療を行い続けた。勉強を怠らず最新の知見を身につけ、スキルを磨いたこと、彼の『専門的見解』に対する検察官らの言われなき不信と反発に遭っても、凛とした姿勢を崩さない芯の強さを保ったこと、そして、K医師のその姿勢が裁判所を無罪へと動かした。」と結ばれた。
※参考文献
安福謙二著 「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか?」(方丈社)
オルテガ・イ・ガセット 「大衆の反逆」(筑摩書房)
詳しくは、機関誌「安全医学」に、私のコメントを含めて掲載されるので、ご覧ください。
第1号:本会理事長 吉田謙一(2017年6月30日)
特別講演「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか?」を拝聴して(前半)
東京医科大学法医学分野教授(日本臨床医学リスクマネジメント学会理事長) 吉田謙一
平成29年5月28日、日本臨床救急医学会・日本臨床医学リスクマネジメント学会合同学術集会(ビッグサイト)において特別講演会が開催された。講師の安福謙二先生は、福島県立大野病院事件弁護団を結成し、歴史的な無罪判決を勝ち取った。そして、2016年、この事件の裁判を記録した「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか?」という著書を上梓され、法律書分野のベストセラーとなっている。
講演の冒頭、安福先生は、「亡くなられた患者と遺族の皆様に心よりご冥福をお祈りします」と述べられた。これによって、多数の聴衆が一瞬にして静まり返った。
平成16年12月、産科医であるK医師1名のみが医長として勤務する福島県立大野病院において産婦の死亡事故が発生した。帝王切開により児を無事出産した後、胎盤の剥離に難渋したK医師は、クーパー(ハサミ状の鉗子)の鈍的な先端部を用いて、直視下に胎盤を剥離した。その後、出血量は多かったが、止血・閉創を済ませた直後、心室細動が発生し、患者が死亡した。平成17年3月30日、3名の産婦人科医による県の事故調査委員会が、癒着胎盤の無理な剥離と輸血対応の遅れなどが事故原因であるとする事故調査報告書を公開した直後から病院関係者が次々に取り調べを受けた。いっぽうで、検察から嘱託を受けた第三者病理医と産婦人科医から鑑定書が提出された後、平成18年2月18日、K医師が逮捕された。
裁判においては、胎盤の状態、クーパーの使用の是非、輸血の遅れ等が争点となった。鑑定に当たった病理医は、癒着胎盤を見た経験がほとんどなかった。彼は、帝王切開の際、子宮前壁に及んでいた癒着胎盤を切ったため、出血多量となったと供述した。しかし、多数の癒着胎盤の診断経験のあった大阪府母子保健医療センターの中山雅弘医師は、胎盤を精査し、胎盤癒着は子宮後壁の一部に限られていたと証言した。いっぽう、某国立大学産婦人科教授の鑑定書に基づいて、検察側が、「癒着胎盤と分かった時点で、剥離をやめて直ちに子宮摘出に進むべきであった」と主張したのに対して、近くの病院に勤務する経験豊富な産科医は、「クーパーで鈍的に剥離したのであれば、直視下に行えるから妥当である。癒着胎盤と分かっても、やめずに胎盤摘出を続ける」と述べ、検察官がこの医師に十分な情報を告げず安易に“供述調書”をとったことが明らかになった。さらに、癒着胎盤を含む多くの異常出産を経験している某国立大学産婦人科教授の証言を加えて、裁判所は、「本件裁判においては,癒着胎盤の剥離を開始した後に剥離を中止し,子宮摘出手術等に移行した具体的な臨床症例は,検察官側からも弁護人側からも提示されておらず,また,当公判廷において証言した各医師も言及していない」と認め、検察側の医学鑑定・意見は不十分であり、検察側の主張を肯定する具体的な臨床症例の提示がないと認めた上で、K医師の無罪を告げ、確定した(福島地裁平成20年8月20日判決)。
安福先生は、事故調査委員会報告書が、刑事捜査の端緒となった複数の事例を示した。この内、JAL706便事件において、裁判官が、「被告人の説明は傾聴に値する。」と述べたことを取り上げ、暗に被告人であるパイロットは、その途の専門家であり、誰よりも当該事件の実情を知る専門家であることを指摘した。安福先生は、さらに、神奈川県立がんセンター事件において、平成25年9月17日、横浜地裁の裁判長は、無罪判決を言い渡した後、「捜査が不十分である中,検察官は証拠を精査,吟味することなく起訴した」と指摘し、事後、検察庁に慎重な事件処理を求めると説諭したことを、ご自分の傍聴メモから紹介した。そして、事故に関する業務上過失の刑事裁判に共通する問題点として、検察側の捜査が不十分であり、主張を裏付ける証拠となる事例の提示がなく、証人に十分な情報を与えていない(予断に基づいて聴取している)こと、検察側証人である専門家の専門性の欠如、意識の低さを指摘している。何より、被疑者となった医師たちが、警察官や検察官に、「殺人犯や強盗犯と同等に扱われた・・・来る日も来る日も罵倒され、怒鳴りつけられ続けた」等と述べたことは、再三、指摘されていたことを裏付けていた。
安福先生は、本件裁判が投げかける本質的な問題点として、被告の人権擁護の問題点、及び、専門家鑑定人・証言の「専門性の欠如」の問題点について熱心に述べられた。本件では、K医師が逮捕・拘留され、不当な追及を受けた“人権問題”について、世界的には、身柄拘束中の被疑者の取調べにおける被疑者の黙秘権,弁護人選任権行使の内容に関する基本ルールを宣告した“ミランダ判決”に違反していると指摘された。
(次号に続く)